こんな方におすすめ
- キャンプを始めたけど、最近行かなくなっている人
- 道具は揃えたのに、気持ちが乗らなくなった人
- キャンプに「向いていないのかも」と感じ始めている人
キャンプブームが一段落した今、振り返ってみると興味深い現象が起きています。
一時期は予約が取れず、道具も品薄になり、SNSにはキャンプの写真が溢れていました。しかし、あの頃と同じ熱量で今もキャンプを続けている人は、実はそれほど多くありません。
多くの人は、キャンプが嫌いになったわけではありません。
「楽しかった記憶はある」「嫌な思い出ばかりでもない」。そう感じているにもかかわらず、気づけば最後に行ったのはいつだったか思い出せない。道具は揃っているのに、次の予定が立たない。そんな状態に心当たりがある人は少なくないはずです。
一方で、同じ時期に始めたはずなのに、今も淡々とキャンプを続けている人がいます。
頻繁にSNSへ投稿するわけでもなく、毎回特別なことをしているわけでもありません。それでも「やめる理由がない」「気づいたら行っている」という感覚で続いています。
この違いは、体力や性格、センスの問題ではありません。
高価な道具を持っているかどうかでも、知識量の差でもありません。もっと根本的な、「キャンプをどう捉えているか」「どんな期待を持っているか」という意識の違いです。
キャンプは、正しくやろうとするほど重くなります。
完璧を目指すほど疲れます。
そして、その疲れはある日突然、「行かなくなる」という形で表に出ます。
この記事では、キャンプが続く人と辞める人の間にある決定的な違いを、精神論や根性論ではなく、現実的な視点から整理していきます。
もしあなたが今、「自分は向いていないのかもしれない」と感じ始めているなら、それは才能の問題ではなく、考え方のズレかもしれません。
辞める人は「正解のキャンプ」を求めすぎる
キャンプを辞めてしまう人に多く見られるのが、「正解のキャンプ」を探し続けてしまう姿勢です。
SNSやYouTube、雑誌を開けば、整然と並んだギア、美しく張られたテント、完璧な焚き火、非日常感あふれる写真が並びます。そうした情報に日常的に触れていると、意識しないまま「これがキャンプの完成形なのだ」と刷り込まれていきます。
すると、自分のキャンプが常に未完成に感じられるようになります。
テント設営に時間がかかっただけで焦り、料理が思った通りにいかなければ落ち込み、天候が崩れれば「今日はダメだった」と結論づけてしまう。キャンプの一つひとつの出来事が、体験ではなく評価対象になってしまうのです。
本来、キャンプには点数も合格ラインもありません。
誰に提出するものでもなく、誰かに認められる必要もないはずです。しかし「ちゃんとしたキャンプをしなければ」「恥ずかしくない形にしなければ」という意識が強くなると、楽しさよりも緊張感が前に出てきます。
特に初心者ほど、他人の完成形を真似しようとします。
それ自体は悪いことではありませんが、問題は「真似できていない自分」を否定し始めることです。失敗が学びではなく、「向いていない証拠」に変わってしまうと、キャンプは急速にしんどくなります。
続かない原因は、技術不足ではありません。
理想像が高すぎること、そしてその理想を自分に課してしまうことです。他人のキャンプを基準にしている限り、満足する瞬間はなかなか訪れません。その疲れが積み重なり、「嫌いではないけど、もういいかな」という距離感につながっていきます。
続く人は「不便」を前提にしている
キャンプが続く人は、最初から不便を織り込んでいます。
寒さ、暑さ、虫、雨、準備の手間。そうした要素を「起きたら困ること」ではなく、「起きて当然の条件」として捉えています。
だからこそ、実際に不便が起きても感情が大きく揺れません。
雨が降れば「今回はこういう日」、風が強ければ「今日は焚き火は無理だな」と、状況を受け入れて行動を調整します。不便を排除しようとしないため、理想と現実のギャップに苦しむことが少ないのです。
一方で、辞めてしまう人はどこかで快適さを期待しています。
自宅に近い居心地、旅行並みの満足度、予定通りに進む一日。それが崩れた瞬間、「思っていたのと違う」という失望が強くなります。
キャンプは、不便をゼロにする遊びではありません。
不便があるからこそ、工夫が生まれ、経験として蓄積されます。続く人は、その循環を理解しています。
不便をなくそうと装備を増やしすぎると、準備も片付けも重くなります。
結果として、行く前から疲れてしまい、足が遠のいていきます。不便を受け入れるという姿勢は、実はキャンプを軽くする最短ルートでもあります。
辞める人は「道具で満足」してしまう
キャンプを辞める人の多くは、一度は道具集めに夢中になります。
テント、ランタン、焚き火台、調理器具。調べて比較して、購入する過程そのものが楽しくなり、手元に揃った瞬間に達成感を覚えます。
しかし、そこで満足してしまうと、体験が追いつきません。
道具を使いこなす前に興味が薄れ、収納や管理が面倒になり、「準備が億劫」という感覚が強くなっていきます。
問題は道具の質や数ではありません。
「完成させてから行こう」という考え方です。完璧な装備が揃わなければキャンプに行けないと思うほど、ハードルは上がります。
続く人は、道具を目的にしません。
今あるもので行き、足りなかった点を体験から知り、必要であれば少しずつ足します。道具は体験の結果として増えていくものです。
体験より先に完成を求めると、キャンプは続きません。
未完成のまま行くからこそ、次が楽しみになります。
続く人は「体験」を積み上げている
キャンプが続く人は、成功と失敗を区別せず、すべてを体験として蓄積しています。
設営に失敗した日、寒くて眠れなかった夜、料理が焦げた夕食。それらを「やってしまった経験」として整理します。
この積み重ねが、次回の安心感になります。
「あの時よりはマシ」「前回よりスムーズ」。小さな成長を感じられると、キャンプは回数を重ねるほど楽になります。
一方で辞めてしまう人は、毎回がリセットです。
失敗が経験にならず、「向いていない」という感情だけが残ります。改善点が見えないため、次に行く理由を失っていきます。
続く人は、キャンプは回数で慣れるものだと理解しています。
一回で完成しなくていい。むしろ未完成のまま続けることで、自分なりのスタイルが自然とできていきます。
まとめ
キャンプが続く人と辞める人の違いは、決して大きなものではありません。
特別な技術があるわけでも、強い意志を持っているわけでもありません。違いは、最初からどんな構えでキャンプと向き合っているか、それだけです。
辞めてしまう人ほど、正解を探し、完成度を求め、不便を避けようとします。
失敗しないこと、恥ずかしくないこと、ちゃんとやること。それらを無意識のうちに自分に課してしまい、キャンプを「評価されるイベント」に変えてしまいます。その結果、楽しさよりも疲労が先に立ち、少しずつ距離が生まれていきます。
一方で、続く人は最初から力を入れていません。
不便があることを前提にし、失敗も想定内と考え、60点で帰ることを自分に許しています。だから準備も気持ちも重くならず、淡々と続けることができます。
キャンプは、本来「続けることで慣れていく遊び」です。
一回で完成させるものでも、毎回満足しなければいけないものでもありません。未完成のまま行き、少しずつ自分の形にしていく。その過程こそが、キャンプの本質です。
もし最近キャンプから距離ができているなら、「やり方」を変える前に、「期待」を見直してみてください。
頑張らなくても続く形に変えたとき、キャンプはもう一度、自然な居場所になります。
続く人は、特別なことをしていません。
ただ、最初から無理をしていないだけです。