こんな方におすすめ
- ソロキャンプを始めようか迷っている人
- キャンプ初回で違和感を覚えた人
- キャンプが「思ってたのと違う」と感じている人
目次
「何もしない時間」に不安を感じる人
ソロキャンプにおいて、多くの初心者が最初に直面する壁が「想像以上に暇である」という現実です。キャンプという言葉から連想されがちな、次々とイベントが起こる非日常体験は、実際にはほとんど存在しません。テントを張り、火を起こし、食事を済ませた後は、基本的に何も起こらない時間が続きます。
この「何も起きない時間」をどう受け止めるかが、ソロキャンプの向き不向きを決定づけます。日常生活において、常にタスクや刺激に囲まれている人ほど、この空白の時間に強い不安を感じやすくなります。仕事、SNS、動画、通知に慣れきった状態では、静かな時間は癒しではなく「取り残された感覚」になりやすいのです。
実際、キャンプ場でよく見られる光景として、焚き火の前に座りながらもスマートフォンを離せず、結局いつもと同じ情報を追い続けてしまう人がいます。自然の中に身を置いているにもかかわらず、頭の中は常に「次に何をするべきか」「この時間に意味はあるのか」と考え続けてしまう。これは、暇を楽しむ感覚がまだ育っていない状態とも言えます。
ソロキャンプは、時間を「消費する」遊びではありません。時間そのものを受け入れる遊びです。焚き火の炎が揺れる様子をただ眺める、風の音を聞く、空の色が変わるのを感じる。こうした体験に価値を見出せない場合、ソロキャンプは退屈な作業の連続になってしまいます。
また、「何かをしていないと不安になる」タイプの人は、無意識のうちにソロキャンプを効率化しようとします。早く設営を終わらせ、早く食事を済ませ、早く寝て、早く帰る。その結果、「あれ、これで何が楽しかったんだろう」と疑問だけが残ることも少なくありません。
このタイプの人にとって、ソロキャンプは癒しではなく、むしろ自分の思考の癖を強調する場になりやすいのです。
トラブルを「誰かに任せたい」タイプの人
ソロキャンプでは、すべての判断と結果を自分一人で引き受ける必要があります。これは自由であると同時に、大きな責任でもあります。テントの設営がうまくいかない、風向きを読み違える、必要な道具を忘れる。こうした小さなトラブルは、ほぼ確実に起こります。
グループキャンプであれば、誰かが助けてくれたり、役割分担によって自然と解決したりします。しかしソロキャンプでは、その余地がありません。判断を誤った場合、その影響を受けるのも、立て直すのも自分だけです。
普段の生活で「誰かに聞いてから決める」「困ったら相談する」ことに慣れている人ほど、この状況に強いプレッシャーを感じやすくなります。キャンプ場で突然天候が崩れたとき、「どうしよう」と立ち尽くしてしまう。判断を先延ばしにすることで、かえって状況を悪化させてしまうこともあります。
また、失敗を過度に恐れる人にも、ソロキャンプは向きにくい傾向があります。設営に時間がかかるだけで気持ちが折れてしまう。料理がうまくいかなかったことで、「自分には向いていない」と極端に結論づけてしまう。こうした思考は、ソロキャンプでは何度も試されることになります。
ソロキャンプは、完璧を目指す遊びではありません。むしろ、失敗を前提として楽しむ遊びです。多少濡れても、多少寒くても、「まあいいか」と受け流せるかどうか。その余裕がない場合、すべてのトラブルがストレスとして積み重なっていきます。
自然より「快適さ」を最優先する人
ソロキャンプにおいて、多くの人が見落としがちなのが「快適さには限界がある」という事実です。どれだけ高性能なテントや寝袋を使っても、屋外である以上、完全な快適空間を作ることはできません。
虫は出ます。地面は硬いです。夜は冷え込み、朝は早く明るくなります。風の音、他のキャンパーの物音、自然由来の匂い。これらはキャンプの欠点ではなく、前提条件です。
日常生活において、空調、照明、防音といった環境が整った空間に慣れている人ほど、こうした要素を「我慢」として感じやすくなります。少しでも不快な要素があると、それが気になって楽しめなくなる。これは性格の問題ではなく、価値観の問題です。
特に、キャンプを「アウトドア版のホテル滞在」として捉えている場合、現実とのギャップは非常に大きくなります。設備が古い、トイレが遠い、地面が傾いている。そうした一つひとつがストレスとして蓄積され、「もう二度とやらない」という結論に至ることもあります。
ソロキャンプでは、不便さをどう受け止めるかが重要です。不便を「不快」と捉えるか、「自然の一部」と捉えるか。この認識の違いが、体験の質を大きく左右します。
安全面の不安を過剰に感じてしまう人
ソロキャンプでは、夜になると環境が一変します。昼間は穏やかだった場所も、暗くなることで一気に不安を感じやすくなります。遠くで鳴る動物の声、風で揺れる木々、誰かの足音のように聞こえる物音。こうした刺激に対して、過剰に反応してしまう人も少なくありません。
安全意識が高いこと自体は、決して悪いことではありません。しかし、その意識が過剰になると、楽しむ余裕を完全に奪ってしまいます。常に周囲を警戒し、少しの音にも緊張し、夜中に何度も目が覚める。これでは、休息どころか精神的な疲労が溜まる一方です。
特に一人での宿泊に慣れていない人は、「何か起きたらどうしよう」という思考から抜け出せなくなります。理屈では安全だと分かっていても、感情が追いつかない。その結果、焚き火を楽しむ余裕も、星を見る気持ちの余裕も失われてしまいます。
ソロキャンプは、安心できる環境でこそ成立します。不安が常に頭の大半を占めている状態では、その魅力は発揮されません。
SNS映えや承認欲求が主目的の人
ソロキャンプを始める動機として、SNSの影響は非常に大きいものがあります。しかし、SNS上で切り取られた一瞬と、実際の体験との間には大きな差があります。
写真に写るのは、整ったテント、綺麗な焚き火、絶妙な光の加減。その裏側にある、地味で単調な時間はほとんど共有されません。そのため、「映える瞬間」だけを期待して現地に行くと、現実との落差に戸惑うことになります。
承認欲求を満たすことが楽しさの中心にある場合、誰にも見られない時間は虚しさに変わります。投稿するネタがない日、反応が少ない投稿。そのたびに「これって意味あるのかな」と考えてしまう人にとって、ソロキャンプは満足度の低い体験になりやすいのです。
「一人=寂しい」と強く感じる人
ソロキャンプは、一人でいることそのものが前提の遊びです。会話もなく、共有もなく、すべての体験を自分の中で完結させる必要があります。
一人の時間を楽しめる人にとっては、この環境は心地よいものになります。しかし、一人でいることを「欠けた状態」と感じる人にとっては、孤独感が強調される場になってしまいます。
夜、焚き火の前でふと誰かに話しかけたくなる。景色を見て、共有したい相手が思い浮かぶ。こうした感情が強く出る人にとって、ソロキャンプは寂しさを増幅させる体験になりやすいのです。
まとめ|ソロキャンプは「自由」だからこそ合う・合わないがはっきり出る
ソロキャンプは、誰にも縛られず自由に過ごせるアウトドアスタイルとして語られることが多いですが、その自由さは同時に「すべてを自分で引き受ける」という意味でもあります。時間の使い方、トラブルへの対応、不安との向き合い方、楽しみの見つけ方。そのすべてを、自分一人で選び続ける必要があります。
今回挙げた特徴に当てはまるからといって、ソロキャンプが「できない人」「劣っている人」というわけではありません。むしろ、向いていないと感じる感覚はとても健全です。合わないスタイルを無理に続けるほど、疲労や不満だけが残ってしまいます。
ソロキャンプは、不便さや静けさ、孤独さを含めて楽しめる人にとっては、非常に豊かな時間になります。一方で、刺激や安心感、快適さ、共有を重視する人にとっては、別のアウトドアスタイルの方が満足度は高くなります。
大切なのは「流行っているから」「みんなやっているから」という理由で選ばないことです。自分が何を求めているのか、どんな時間に心が落ち着くのかを知ることが、結果的にアウトドアを長く楽しむ近道になります。
ソロキャンプが合わなかったとしても、それは失敗ではありません。自分に合う楽しみ方を知るための、ひとつの経験に過ぎないのです